脱輪機関車

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【悲報】『リコリス・リコイル』、そもそもバディものじゃなかった

先日、『リコリス・リコイル』の最終回前に、こんな記事を書いた。

 

ststeam.hatenablog.com

 

要約すると、「ちさたきの関係性が歪で、バディものとして微妙。最終回でバランスを整え(た上でハピエンにし)てくれれば文句なし」という旨の文章である。

では最終回を終えた今、そんな自分の個人的な期待、もといワガママは叶ったのか。

 

残念ながら、答えは否。というか、最終回まで見てやっと、「そもそもそんな期待をしたのが間違いだった」ことに気が付いた。

なぜなら、タイトルにもある通り、この作品はバディものではなかったから。

 

前回記事にも書いたが、自分が望んでいたのは、「精神面においてちさたきが対等になること」。それはたきなの成長によるものでも、千束の視野が広がることでもいい。あるいはどちらでもなく、一瞬だけたきなの思想が千束を上回る、という見せ方でもいい(具体的には思いつかないけど)。とにかく、なんでもいいから「たきなが千束に並んだ」と思える瞬間が見たかった。その一点に期待して、固唾を呑んで成り行きを見守っていた。

が、実際はどうだ。千束と真島はタイマンで戦いケリをつけるし、生死の問題に関してたきなが千束の心に働きかけることはないし、心臓の件はミカがなんとかしてしまう。たきなの役割、あまりにも薄すぎやしないだろうか。

 

まあ、落ちそうな千束がたきなを信じて賭けに出たとか、これからに悩む千束がたきなに問いかけ、背中を押したとか、千束→たきなのシーンもあったにはあった。

でも、弱い。これで双方向性を補ったというにはあまりにも無理がある。単純にシーン数が少なすぎる。

なんというか、「相棒がたきなだからよかった」みたいな心境を、千束からは感じない。「相棒が欲しかった」のは事実だろうが、「たきなが相棒じゃないとダメ」と、千束は思っているだろうか。

『リコリス・リコイル』バディものとしての不満、最終回への期待 - 脱輪機関車

前回記事でこう書いたのだが、印象はまったく変わらない。

とにかく、運命的な結びつきみたいなものが、何ひとつ感じられない。

どころか、千束→たきなの認識は「一生懸命な友達」であることが明かされ、特別感のなさが補強されてしまう始末(一応ラスト付近で「相棒」呼びしてはいたが、上滑りしている印象すらある)(たきなに黙って消えたのも、相棒に対する態度か?という感じだし)。

関係性という点でいけば、延空木での真島と千束のやり取りのほうが、よっぽど旨味があった。間接キスもしたし。

なんというかたきなは、クレジット順で例えるなら「W主人公の片割れ」ではなく、「サブキャラ(脇役)の一番上」が相応しいだろうな、と思う。

 

結局、たきな→千束の一方通行な矢印は、最後の最後まで、一瞬たりとも対等な双方向にならないまま終わってしまった。

 

が。

これらの点は、『リコリコ』をバディものとして見ているから納得がいかないのであって、「錦木千束の物語」として見れば、だいたい丸く収まる。

千束が気難しいリコリスと出会い、その心を氷塊させ、仲良くなっていくまでの物語。

「千束とたきな」がいろんな人と関わっていく話ではなく、「千束」が「たきな含めた」いろんな人と関わっていく話。そう考えると、この上なくストンと腑に落ちる。

心臓周りを大人組が全部片付けちゃって、千束が決断に関与してないのって、千束の物語として見てもどうなの、というのはともかく

 

……とはいえ、この作品を最初から「千束の物語」として見るのは難しい状態だったと言わざるを得ないだろう。

自分は本編以外はあまり熱心に見ていないが、事前プロモーションとか、公式Twitterとか、公式のいろんな媒体で「ふたりの物語」が強調されていたらしいことはウワサに聞いているし、それでなくとも3話まで見て「バディものだ!」と認識していたので。

 

それから、「この作品はバディものであって百合ではない」という意見もいくつか見かけたけれど、「百合=GL」という解釈であれば正しいと思う。

ただ、ひとくちに百合といっても、この概念は言わずもがな広義的で、自分的にはこの作品を指す場合、「百合=ロマンシス*1」という解釈。

自分の中ではこの解釈を前提にしているので、この作品が描いてきたバディとしての良さ&百合としての良さは、そのまま両方「関係性」というワードに集約され、そして12~13話にかけてその良さを損なったので、結論としてはバディとしても百合としても半端だよね、という感想になってしまう。

 

「あの最終回からちさたきのバディ関係が始まるんだよ!」という声もあるかもしれない。しかし(ここは個人の受け止め方の違いもあるだろうが)、自分の目にはやっぱり、まだちさたきは、バディ関係のスタートラインにも立っていないように思える。

マインドの面において、ちさたきが対等になれば、彼女たちはその瞬間、初めてバディになるだろう。そうすれば、「ちさたきがバディになるまでの話」として、初志貫徹して(ある程度)綺麗に〆られる。

『リコリス・リコイル』バディものとしての不満、最終回への期待 - 脱輪機関車

最終回時点でもなお、たきなは千束の背中を追いかけている。好意的に見ても、せいぜいちょっと前に進んで追いつき始めた、くらいでしかない。一時的に追いついた、みたいなこともなかった。ここからたきなが距離を稼ぐとしたら、ものすごい大股歩きで踏み出さないと追いつけない。

 

ありとあらゆるガバを無視してでも、「ちさたきの関係エモエモ!」と最終回で言えればそれでよかった。そうしたかった。それが『リコリコ』最大のウリであり、最大の武器だと認識していたのだが、残念ながら「エモエモ!」と鳴き声を上げることはできなかった。

たきなの言葉に心を動かされ、泣きじゃくって「生きたい」と叫ぶ千束――とか、千束が避けることを確信してあえて千束ごと真島の急所を狙うたきな――みたいなものをなんとなく幻視していたが、そういうのも結局、幻のままに終わってしまった。

2期があるとすれば、いつか似たような光景が、現実のものになったりするのだろうか。

 

……おそらくしないだろうと思いつつ、期待しすぎない程度に期待しておこうと思う。

 

 

 

 

余談。

巷では実質『仮面ライダービ◯ド』と囁かれているが、上述した通り、バディものに見せかけた単独主人公作品、かつ「ライバルとの因縁>相棒との関係」であることを踏まえると、『ド◯イブ』『エ◯ゼイド』あたりのほうが近いのではないかと思っている。

 

*1:ブロマンスの女性版。親友以上恋人未満の関係性